大判例

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松山地方裁判所 昭和56年(レ)30号 判決

控訴人(原審申請人) 永木清吉

〈ほか一名〉

右両名訴訟代理人弁護士 篠原三郎

被控訴人(原審被申請人) 川上実

右訴訟代理人弁護士 曽我部吉正

主文

一  原判決を取り消す。

二  被控訴人は、控訴人らが別紙目録(三)の土地のうち、別紙図面(一)の①、②、③、④、⑤、⑥、⑦、⑧、⑨、①の各点を順次直線で結んだ範囲内の部分を通行使用するのを妨害してはならない。

三  控訴人らが被控訴人に対し金三〇万円の保証を立てたときは、

1  被控訴人は、控訴人らに対し、前項記載の土地の部分に所在するブロック塀のうち、同図面の①、②、⑩、⑨、①の各点を順次直線で結んだ範囲内の部分及び③、④、⑤、⑥、⑫、⑪、③の各点を順次直線で結んだ範囲内の部分並びに前項記載の土地の部分上の同図面表示の位置にあるウイングポンプを撤去せよ。

2  控訴人らは、松山地方裁判所執行官をして、被控訴人の費用で前項記載の各物件を撤去させることができる。

四  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  控訴の趣旨

主文同旨。

二  控訴の趣旨に対する答弁

本件控訴を棄却する。

第二当事者の主張

一  控訴人ら(申請の理由)

1  別紙目録(一)の土地(以下単に「一二七四番」という。)及び一二七四番の南側に隣接する同目録(二)の土地(以下単に「一二七六番二」という。)は、控訴人永木清吉(以下「控訴人永木」という。)の所有である。

2  控訴人村田寿一(以下「控訴人村田」という。)は、控訴人永木から、昭和四九年一〇月ころ、一二七四番及び一二七六番二(以下、これらの土地を合わせて「本件土地」ということがある。)を賃借し、昭和五〇年六月ころ、その上に木造スレート瓦葺二階建居宅一棟、床面積一階二四・六〇平方メートル、二階二一・二〇平方メートル(以下「控訴人村田宅」という。)を建て、昭和五五年二月一日、所有権保存登記をし、その敷地として本件土地を占有してきた。

3  控訴人らは、次の理由により、本件土地の西側に隣接する被控訴人所有の別紙目録(三)の土地(以下単に「一二七六番一」という。)のうち、別紙図面(一)表示の①、②、③、④、⑤、⑥、⑦、⑧、⑨、①の各点を順次直線で結んだ範囲内の部分(以下「本件係争地」という。)を通行することができる。

(一) (契約に基づく通行権)

(1) (通行地役権設定契約又は使用貸借契約)

(イ) 村田清子は、控訴人永木及び同村田の代理人として、被控訴人との間に、昭和四九年九月ころ、本件土地への通行の用に供するため本件係争地に通行地役権を設定する契約、そうでないとしても、被控訴人が控訴人らに対し、本件土地への通路として本件係争地を使用させる契約をした。すなわち、村田清子が被控訴人に対し、本件土地に控訴人村田が居宅を建築するので一二七六番一を本件土地への通路として利用させてもらいたいと申し入れたところ、被控訴人は、一二七六番一のうち南側境界ぞいの空地(当時は、別紙図面(一)表示の物置がなかった。)又は北側の本件係争地のいずれを通行してもよいと返答した。

(ロ) 控訴人永木及び同村田は、村田清子に対し、右契約に先だって、その代理権を与えた。

(2) (黙示の契約)

仮に、右(1)の事実が認められないとしても、控訴人永木が、昭和五〇年四月二九日の控訴人村田宅の棟上げの日に、被控訴人に対し本件係争地を通行させてもらう謝礼を述べたところ、被控訴人は、なんらこれに異議を唱えることはなかった。また、控訴人らは、同年六月控訴人村田宅の完成以後昭和五四年七月被控訴人が後記4のとおり本件係争地にブロック塀を築くまで、本件係争地を公路への唯一の通路として、専らここを通行し、被控訴人は、これに対して異議を述べることはなかった。もって、控訴人村田宅完成後間もないころ、控訴人らと被控訴人間に黙示の合意によって通行地役権設定契約又は使用貸借契約が成立した。

(二) (法定通行権)

(1) 本件土地は、別紙図面(二)表示のとおり他人の所有する土地に囲繞され、公路に通じない。

(2) (民法二一三条二項の類推適用による無償通行権)

(イ) 前記図面表示の公路(町道)に接していた一二七六番が大正二年その所有者の永井乙五郎の申請により二筆に分筆され、そのうち一二七六番一が同年売買により永井乙五郎から尾崎音松に譲渡された結果、一二七六番二は、袋地になったものである。したがって、一二七六番二の所有者は、同番一に民法二一三条二項の無償通行権を有する。ところで、前記図面(一)・(二)各表示のとおり一二七六番二と一二七四番とは地続きで、いずれも一二七六番一に隣接している。そうして、現在前記1のとおりいずれも控訴人永木の所有するところとなっている。このような場合には、控訴人らは、一二七六番二のみならず一二七四番のためにも一二七六番一に民法二一三条二項の類推適用による無償通行権を有するものとするのが相当である。

(ロ) 本件土地所有者及びその上にかつて存在した建物の居住者は、前記公路に至るため専ら一二七六番一のうち南側境界ぞいの部分を通行してきた。ところが、そこには現在同図面表示のとおり被控訴人方の物置が建てられ、通行ができなくなった。したがって、一二七六番一のうち、本件土地から公路に至る通行の場所として最も被控訴人に損害の少ない所は、同図面表示の被控訴人宅の北側部分(本件係争地は、その一部)をおいて他にはない。

したがって、控訴人らは、本件係争地に民法二一三条二項の類推適用による無償通行権を有する。

(3) (民法二一〇条一項の通行権)

仮に、右(2)の無償通行権が認められないとしても、本件土地の囲繞地のため損害が最も少ない本件係争地につき、控訴人らは、民法二一〇条一項の通行権を有する。

(イ) 本件土地から公路(町道)に至るための通路として考えられるのは、本件係争地又は堀元米吉所有にかかる別紙目録(五)の土地(以下単に「一二六五番五」という。)のうち別紙図面(一)に茶色で表示した部分(以下「堀元私道」という。)である。この堀元私道は、両側にブロック塀が築かれた幅約一メートルの平坦な通路状の土地で、公路から約二・二メートル入ったところに施錠付の金属製門扉が設置され、専ら堀元米吉方の公路への通路として利用されてきた。

(ロ) 本件係争地を通路とするには、係争地内のブロック塀及びウイングポンプの撤去等を要するが、その費用は三万円足らずで済む。本件係争地は、被控訴人にとってほとんど利用価値のない所である。しかも、一二七六番一上の被控訴人方居宅の本件係争地に面した側には窓がないから、通行人から家の中をのぞき見られる心配もない。他方、堀元私道を通路とするには、本件土地と堀元私道との間に設けられた堀元米吉方のブロック塀の一部を撤去して入口をつくり、堀元私道入口の施錠付の金属製門扉を開閉自由なものにするか、それを控訴人村田宅の右新入口の東まで移動させるかしなければならない。また、堀元私道とその北隣の堀元ヨネ子所有地との境界に設けられたブロック塀が高さ約八八センチメートルのものなので、堀元私道を通路とすれば、同女方の安全及びプライバシーを守るため右ブロック塀を更に八〇センチメートル以上積み足して高くする必要がある。それらに要する費用は、少なく見積っても約六万円かかる。

(ハ) なお、堀元私道は、原判決言渡後の昭和五七年二月ころ、両側のブロック塀のうち北側のブロック塀の一部及び金属製門扉が取りのけられ、その門扉のあった入口はブロックで閉ざされ、私道部分には植木が植えられて、現在直ちに通路として使用できなくなっている。

以上のような事情、その他、前記(一)の各契約締結の事実が認められないとしても、そこで主張した話し合いの存在や控訴人らの本件係争地の通行を被控訴人が長年黙認してきた事実等の諸般の事情を斟酌すれば、本件土地から公路への通路は、本件係争地に設けられるべきである。

(三) (権利濫用禁止の反射的効果としての通行可能)

控訴人村田が前記のとおり昭和五〇年六月、本件土地の上に控訴人村田宅を建築後、控訴人村田宅から公路(町道)に出入りする通路として、控訴人らは、本件係争地を利用してきた。これに対し、被控訴人は、なんら異議を唱えることはなかった。しかるに、被控訴人は、その必要性が全くないのに、昭和五四年七月ころ、後記4のとおりブロック塀を築造し、ウイングポンプを設置した。その結果、控訴人らは、本件係争地を控訴人村田宅から公路への通路として利用できなくなり、控訴人村田宅を居住の用に供することができなくなって、多大の不便を被っている。被控訴人の右行為は、所有権の濫用にあたり、許されない。

4  被控訴人は、控訴人らが本件係争地の通行権を有することを争い、昭和五四年七月ころ、本件係争地内の別紙図面(一)表示のとおりの位置に、ブロック塀を築造しウイングポンプを設置した。(このウイングポンプは、昭和五六年九月に新しいものと取り替えられて現在に至っている。)

5  (保全の必要性)

被控訴人が本件係争地にブロック塀を築造し、ウイングポンプを設置したため、控訴人らは、本件土地から公路への通路を失った。また、控訴人村田宅のくみ取り口は別紙図面(一)表示のとおりの位置にあるため、従前はくみ取り車からホースを本件係争地に通してくみ取りを行ってきたが、それもできなくなり、控訴人村田宅を利用するにつき重大な支障を被っている。そのような状況であるから、控訴人らは、緊急に公路まで至る通路を確保する必要があり、本件係争地内のブロック塀及びウイングポンプの撤去等を求める本案訴訟の判決の確定を待っていては回復し難い損害を被るおそれがある。なお、控訴人らは、現在、本件土地の東に広がる田村善蔵所有のみかん畑の通行許可を同人より得て農道に出ているが、農道に至るまでにはみかん畑の畔ないし溝(これはとうてい道といえるところではない。)を約八〇メートルも歩かねばならず、これは通常の日常生活を送るために必要な通路といえるものではない。したがって、右みかん畑を通行利用できるからといって、控訴人らに保全の必要がないとはいえない。

6  よって、控訴人らは、被控訴人に対し、担保を条件として、本件係争地の通行妨害の禁止並びに本件係争地内のブロック塀及びウイングポンプの撤去を求める。

二  被控訴人

1  (申請の理由に対する答弁)

(一) 申請の理由1の事実を認める。

(二) 申請の理由2のうち、控訴人村田が本件土地の上に控訴人村田宅を建て、本件土地を占有してきたことを認めるが、その余は不知。

(三) 申請の理由3について

(1) 冒頭の事実につき、一二七六番一が本件土地の西側に隣接し、被控訴人の所有であることを認めるが、その余の主張は争う。

(2) その(一)の各事実を否認する。

(3) その(二)について

(イ) (1)のうち、本件土地が別紙図面(二)表示のとおり他人の所有する土地に囲繞されていることを認める。なお、本件訴訟の当初、その余の点も認めたが、右の点は法律問題であるから、その主張の変更は、自白の撤回に当たらず、自由に許されるから、否認に改める。自白の撤回に当たるとしても、右自白は真実に反する陳述で錯誤に基づいてしたものであるから、これを撤回し、否認する。すなわち、一二七四番の北側に隣接する堀元私道は公路といえるから、本件土地は公路に通じている。

(ロ) その(2)について

① (イ)につき、控訴人ら主張のとおり大正二年に一二七六番が二筆に分筆され一二七六番一が譲渡された結果一二七六番二が袋地になったこと、一二七六番二と一二七四番とが地続きで、いずれも一二七六番一と隣接していること、現在いずれも控訴人永木の所有するところとなっていることを認める。しかし、民法二一三条二項は、土地の譲渡の結果袋地が生じた場合その譲渡当事者間にのみ適用され、当事者の一方又は双方に特定承継があった場合には適用されない。

② (ロ)のうち、本件土地の上にかつて建物が存在したこと、一二七六番一の南側境界ぞいのところに別紙図面(一)表示のとおり被控訴人方物置が建てられたことを認めるが、その余を否認する。本件土地所有者及びその上にかつて存在した建物の居住者は、別紙図面(二)の緑色表示部分を通行して公路に出ていた。

(ハ) その(3)について

① (イ)のうち、堀元私道が両側にブロック塀が築かれた幅約一メートルの平坦な通路状の土地で、公路から約二・二メートル入ったところに施錠付の金属製門扉が設置されていたことを認めるが、その余を否認する。

② (ロ)のうち、本件係争地を通路とするには係争地内のブロック塀及びウイングポンプの撤去等を要すること、堀元私道を通路とするには、本件土地と堀元私道との間に設けられた堀元米吉方のブロック塀の一部を撤去して入口をつくらなければならないことを認めるが、その余を否認する。

③ (ハ)を認める。

④ 本件土地から公路に至る通路としては、本件係争地より堀元私道の方が適当である。すなわち、本件係争地は、被控訴人方居宅北側軒下の犬走りで、その幅員は、狭いところで〇・四六九メートル、広いところでも〇・五八四メートルしかなく、右犬走りにそって東西に走る幅員約〇・二六メートルの疎水溝上の空間を利用しても、大きな物品の搬出入はできない。これに対し、堀元私道は、通路として整備されていて、前記溝の北側に東西方向に設けられた堀元米吉方ブロック塀の一部分の撤去により、控訴人らは、本件土地から堀元私道を経て公路に至ることができる。もっとも、堀元私道は、原判決言渡後控訴人ら主張のとおりに変更されたが、これは、原判決が本件土地から公路に至る通行の場所として堀元私道が適当であると判示したことに起因するから、控訴人らは、堀元米吉に対し、その原状回復を求めるべきである。

(4) その(三)のうち、被控訴人が控訴人ら主張のとおりブロック塀及びウイングポンプを築造したこと(ただし、ポンプの設置時期を除く。)を認めるが、ポンプの設置時期を含め、その余を否認する。ウイングポンプは、被控訴人が昭和四三年ころ一二七六番一に被控訴人宅を建築した際設置したものである。

(四) 申請の理由4は、ウイングポンプの設置時期の点を除いて、認める。ウイングポンプの設置時期の点についての控訴人らの主張事実を否認する。その設置時期は、昭和四三年ころであった。

(五) 申請の理由5は、争う。控訴人らは、現在、本件土地の東にある田村善蔵所有のみかん畑の通行を許され、そこを通って公路にまで出ているから、本件仮処分を求める必要がない。

2  (抗弁)(申請の理由3(二)に対するもの)

(一) 一二七六番二は、もと永井音松が所有していた。浜田弥之吉は、大正一一年六月一五日永井音松から一二七六番二を買い受けた。弥之吉は、昭和三三年二月二八日死亡し、浜田弥平が相続した。弥平は、昭和四七年七月三日死亡し、浜田文治が相続した。

(二) 別紙目録(四)の土地(以下単に「一二七八番二」という。)は、もと控訴人永木が所有していた。浜田文治は、昭和五七年四月五日控訴人永木から一二七八番二を買い受けた。

(三) 浜田文治は、昭和五七年四月五日当時、別紙目録(六)及び(七)の各土地を所有していた。

(四) 右(一)ないし(三)の土地は、別紙図面(二)表示のとおり接続している。右の(二)の一二七八番二の売買の結果、一二七六番二は、浜田文治所有の右一団の土地を経て公路(町道)に通じることになった。

(五) 控訴人永木は、浜田文治から、昭和五七年六月一八日、一二七六番二を買い受けた。ところで、民法二一三条二項は、一筆の土地の一部が分譲された場合のみならず、同一人が所有している数筆の土地の一部(筆)が分譲されたときにも適用されるから、控訴人永木は、一二七六番二から公路(町道)に至るため、浜田文治以外の囲繞地所有者に対して法定通行権を主張することは許されず、浜田文治所有の前記土地のみを通行せざるをえなくなった。それに伴い、一二七六番二の北側に隣接する一二七四番も、公路に至る通路が開設されることになった。

したがって、本件土地の法定通行権は、昭和五七年六月一八日に消滅した。

三  控訴人ら

1  (自白の撤回に対する異議)

申請の理由3(二)(1)の本件土地が公路に通じないとの点に関する自白の撤回には異議がある。

2  (抗弁に対する答弁)

抗弁事実のうち、(一)のうち、一二七六番二をもと永井音松が所有していたこと、(二)のうち、一二七八番二をもと控訴人永木が所有していたこと及び(三)を認めるが、その余を否認する。控訴人永木は、その所有であるのに登記名義が浜田文治になっていた一二七六番二の所有権移転登記を浜田文治から受けることになった謝礼として、昭和五七年四月五日、一二七八番二を浜田文治に贈与した。そうでないとしても、控訴人永木は、浜田文治との間に、昭和五七年四月五日、一二七六番二と一二七八番二とを交換した。

3  (仮定再抗弁)

浜田弥之吉と永井音松は、抗弁(一)の売買契約を締結する意思がないのに、その意思があるもののように仮装することを合意した。

四  被控訴人(再抗弁に対する答弁)

再抗弁事実を否認する。

第三証拠《省略》

理由

一  申請の理由1について

申請の理由1の事実は、当事者間に争いがない。

二  申請の理由2について

《証拠省略》を総合すれば、控訴人村田が昭和四九年一〇月ころ控訴人永木から本件土地を賃借し、その上に、昭和五〇年一月ころから控訴人村田宅を建て始め、同年六月ころ完成させ、昭和五五年二月一日、所有権保存登記をし、その敷地として本件土地を占有してきたことが一応認められる(もっとも、控訴人村田が本件土地上に控訴人村田宅を建て本件土地を占有してきたことは、当事者間に争いがない。)。

三  申請の理由3について

1  (契約に基づく通行権について)

(一)  《証拠省略》を総合すれば、以下の事実が一応認められる。①控訴人村田は、昭和四九年九月ころ本件土地を控訴人永木から賃借して、その上に建物を建て、両親を住まわせることを思い立ち、控訴人村田の母村田清子がそのころ控訴人らの代理人として被控訴人方を訪れ、被控訴人に対し、本件土地に控訴人村田が居宅を建てるので一二七六番一のうち被控訴人宅の南側を通路として利用させてもらいたいと頼んだところ、被控訴人は、一二七六番一のうち被控訴人宅の南側(当時は、別紙図面(一)表示の物置がなかった。)を通行してもよいし、本件係争地を通って堀元私道に出てもよいと答えた。なお、当時別紙図面(一)表示の⑭点付近から公路(町道)まで至る堀元私道部分は、距離はわずか二メートルくらいで平坦であり、北側にはブロック塀がなく、南側には二段のブロックが築かれていたが、同図面表示の⑪点付近からの出入りは容易であり、途中には堀元家の正門の脇に築かれただて塀が出張っていたが、門扉等はなく、土地所有者(当時は、堀元政義)から通行をとがめられるおそれもなかったので、本件係争地から堀元私道を経て公路へ出るのになんら支障はなかった。②そこで、控訴人村田は、被控訴人宅の南側を通行させてもらえるものと信じ、昭和五〇年一月ころから南側に玄関を設計して控訴人村田宅の建築に着工したが、同年四月ころ被控訴人が被控訴人宅の南側は通行させないと言っているとのうわさを聞き、それならば本件係争地を通行させてもらい、堀元私道部分を経て公路に出るつもりで、玄関を建物の北側に造るよう急きょ設計変更したうえで、同年六月ころ控訴人村田宅を完成させた。以上のとおり一応認められる。《証拠判断省略》

(二)  《証拠省略》によれば、控訴人永木が、昭和五〇年四月二九日の控訴人村田宅の棟上げの日に、手伝いに来た被控訴人に対し、本件係争地を通行させてもらう謝礼を述べたところ、被控訴人はこれに対して格別異議を唱えることはなかったこと、控訴人らは、控訴人村田宅が完成したときから昭和五四年七月被控訴人が本件係争地にブロック塀を築くまで専ら本件係争地を通り堀元私道を経て公路に出ており、被控訴人も、昭和五二年ころまで控訴人らが本件係争地を通行することに対し異議を申し立てなかったことが一応認められる。《証拠判断省略》

(三)  しかしながら、前記(一)に認定したような話し合いや前記(二)に認定した程度の通行の黙認の事実によっては、控訴人ら主張の明示又は黙示の通行地役権設定契約又は使用貸借契約成立の事実を推認するに足りない。

したがって、申請の理由3(一)の契約に基づく通行権の主張は、採用できない。

3  (法定通行権について)

(一)  (本件土地の袋地性)

本件土地が被控訴人所有の一二七六番一ほか他人の所有する土地に囲繞されている事実は、当事者間に争いがない。ところで、被控訴人は、本件訴訟の当初、本件土地が公路に通じない点も認めたが、右の点は法律問題であるから、その主張の変更は、自由に許されると主張する。しかし、本件土地が公路に通じないことを認めるのは、事実についての自白にほかならないから、その撤回に控訴人らが異議を述べている以上、それが許されるためには、右自白が真実に反する陳述で錯誤に基づいてなされたものであることの立証が必要であるところ、堀元私道が公路すなわち不特定多数の一般公衆の通行のために開放された道であることを認めるに足りる証拠はない。(むしろ、弁論の全趣旨によれば、堀元私道は、一二六五番五の土地居住者だけが通行しているにすぎないことが認められる。)そうすると、錯誤の点につき判断するまでもなく、右の点の自白の撤回は、許されないものといわなければならない。したがって、右の点も当事者間に争いがないことになる。

(二)  (民法二一三条二項の類推適用による無償通行権)

公路に接していた一二七六番が大正二年その所有者の永井乙五郎の申請により二筆に分筆され、そのうち一二七六番一が同年売買により永井乙五郎から尾崎音松に譲渡された結果一二七六番二が袋地になったことは、当事者間に争いがない。そうすると、特段の事情のないかぎり、右譲渡当時の一二七六番二の所有者は、民法二一三条二項により同番一のみに通行権を有していたものといわなければならない。しかしながら、民法二一三条は、共有地の協議分割若しくは一筆又は一団の土地の任意の一部譲渡により袋地が生じた場合には、他の囲繞地所有者に迷惑を及ぼさないで、その関係当事者の内部で事を処理するのが当然であるという趣旨でもうけられた規定であるから、特定承継人には適用されないものと解するのが相当である。

したがって、申請の理由3(二)(2)の無償通行権の主張は、採用できない。

(三)  (民法二一〇条一項の通行権)

(1) 《証拠省略》を総合すれば、本件土地附近の地理状況は、別紙図面(一)及び(二)のとおりであることが一応認められる。

(2) 《証拠省略》によれば、以下の事実が一応認められる。①本件土地上には、大正時代から控訴人永木の祖父永井乙五郎が建てた居宅が存在し(もっとも、本件土地上にかつて建物が存在したことは、当事者間に争いがない。)、その居住者は、専ら一二七六番一の南側境界ぞいの部分を通って公路(町道)まで出ていた。昭和三三年ころ右建物が控訴人永木により取り壊された後昭和四九年までの間、本件土地は、主として控訴人永木により盆栽の置場として利用されていたが、控訴人永木は、やはり前記公路から一二七六番一の南側境界ぞいの部分を通って本件土地に出入りしていた。②被控訴人は、昭和四一年五月二三日一二七六番一及びその地上建物を前所有者から買い受け、その数年後右建物を取り壊し、旧建物が建っていたのとほぼ同じ位置に別紙図面(一)表示のとおり新たに被控訴人宅を建築した。ただし、同図面表示の物置は、控訴人村田宅が建てられた後の昭和五〇年一〇月ころ造られたもので(もっとも、物置の建築自体は、当事者間に争いがない。)、それまでは一二七六番一のうち被控訴人宅の南側部分を通行することができたので、控訴人永木は、従前どおり公路から右部分を通って本件土地に出入りしていた。以上のとおり一応認められる。《証拠判断省略》

(3) 《証拠省略》を総合すれば、以下の事実が一応認められる。本件土地から公路(町道)に至るための通路としてまず考えられるのは、①本件係争地及び別紙図面(一)の①、⑮、⑯、③、①の各点を順次直線で結んだ範囲内の土地(以下、本項では、後者の土地部分を含めて「本件係争地」という。)から堀元私道に出て公路に至るもの、②堀元私道だけを通って公路に至るものである。なお、本件係争地は、堀元私道より約三〇センチメートル高く、別紙図面(一)表示の堀元私道の南側のブロック塀のうち赤色で表示した部分(二段のブロックが築かれ高さ約三〇センチメートルの部分)は、本件係争地とほぼ同じ高さであるから、同図面表示の⑪点付近から堀元私道に下って公路まで出るのは容易である。この部分を他人が通行等に利用するのは、堀元米吉も容認している。

堀元私道は、幅約一メートルの平坦な通路状の土地で、その北側及び南側にブロック塀が設けられ、公路から約二・二メートル入ったところに施錠付の金属製門扉が設置されている(この点は、当事者間に争いがない。)。ここに前記②の通路を開設するには、控訴人村田宅と堀元私道との間の堀元米吉方ブロック塀を一部撤去して入口を設けねばならず(この点も、当事者間に争いがない。)、堀元私道とその北隣の堀元米吉の母堀元ヨネ子所有地との境界に設けられたブロック塀が高さ約八八センチメートルであるから、同女方の安全を確保するため、右ブロック塀を更に八〇センチメートルくらい積み足す必要がある。それらに要する費用は約六万円と見積もられる。もっとも、堀元私道は、原判決言渡し後の昭和五七年二月ころ、両側のブロック塀のうち北側のブロック塀の一部及び入口の金属製門扉が取りのけられ、その門扉のあった入口はブロックで閉ざされ、私道部分には植木が植えられて庭園の一部となっているので、現在そこに通路を開設するには前記見積額以上の費用を要することが明らかである。他方、本件係争地は、被控訴人方居宅北側軒下の犬走りである。ここを通路とするには、係争地内のブロック塀及びウイングポンプを撤去せねばならない(この点も、当事者間に争いがない。)。それに要する費用は約二万円と見積もられる。その通路幅は、広いところで約五八センチメートル、狭いところで約四七センチメートルであるが、本件係争地の北にはこれと平行して幅約二六センチメートルの溝(一二七六番一と一二六五番五の境界は、この溝の中心線である。)が東西に走っているので、本件係争地を通行する際に利用可能な空間部分の幅は約八四センチメートルないし七三センチメートルである。なお、被控訴人は、本件係争地を、ウイングポンプを置くほか格別の用途に利用していたわけではなく、また将来格別の用途に利用することを見込んでいるわけでもない。以上のとおり一応認められる。そこで、堀元私道と本件係争地を比較すると、通路開設のための費用ないし通路の開設によりその所有者に生ずる損害は、いずれを選択してもさほど大きくはなく、通路としての形状、通行の利便の点からみると、幅約一メートルの平坦な通路である堀元私道が、幅約五八センチメートルないし四七センチメートル(ただし、通行の際利用可能な空間部分の幅は約八四センチメートルないし七三センチメートル。)の犬走りである本件係争地より勝ることは否めないが、本件係争地も、日常生活に必要な通路としての形状及び幅員を一応備えていると考えられる。

(4) 以上検討した附近の地理状況、従前からの一二七六番一の通行経緯、本件係争地と堀元私道の比較、その他本件に現れた諸般の事情、なかんずく前記三1の(一)(二)認定の本件係争地の通行に関する昭和四九年九月ころの話し合いの存在及びその後の控訴人らによる本件係争地の通行に対し昭和五二年ころまで被控訴人が異議を申し述べなかったこと等の事情を斟酌すると、控訴人ら主張の本件係争地を本件土地から公路(町道)に至る通路の一部として認めるのが相当である(なお、本件土地から本件係争地を経て公路に至るには堀元私道を経なければならないが、この部分を他人が通行等に利用するのを所有者の堀元米吉が容認していることは、前記のとおりである。

(5) 抗弁(通行権の消滅)について判断する。

(イ) 抗弁(一)のうち一二七六番二をもと永井音松が所有していたこと、同(二)のうち一二七八番二をもと控訴人永木が所有していたこと及び同(三)の事実は、当事者間に争いがない。

(ロ) 被控訴人は、浜田文治が控訴人永木から昭和五七年四月五日に一二七八番二を買い受け、その後、同年六月一八日に控訴人永木が浜田文治から一二七六番二を買い受けたと主張し、《証拠省略》によれば、一二七八番二及び一二七六番二について右主張に符合する各売買を原因とする所有権移転登記手続がなされている事実が認められる。しかし、他方、《証拠省略》は、一二七六番二は、控訴人永木の父永木長次郎の所有であったのに登記名義が浜田弥之吉、浜田弥平、浜田文治に引き継がれていたので、昭和五七年七月三日登記名義を浜田文治から控訴人永木に戻し、そのお礼として、浜田文治に控訴人永木が一二七八番二を贈与したが、いずれも登記原因は実態に合わない売買とした旨供述し、《証拠省略》によれば、本件土地(一二七四番及び一二七六番二)上には大正時代から控訴人永木の祖父永井乙五郎の建てた居宅があり、一二七六番二は、専らその居住者によって占有使用され、昭和三三年ころ右建物が控訴人永木により取り壊された《証拠判断省略》後は主として控訴人永木により盆栽置場として利用され、昭和五〇年六月ころ控訴人村田宅が建てられたが、このような事態に対し、今まで所有権の登記名義人(前記浜田弥之吉、浜田弥平、浜田文治)からその所有権を主張して異議が申し述べられたことはなかったことが認められる。この認定事実に照らすと、控訴人永木本人の供述するように、一二七六番二は、控訴人永木の所有であるのに登記名義が浜田文治になっていたと判断しうる余地も少なくなく、前認定のように被控訴人の前記主張に符合する各売買を原因とする所有権移転登記手続がなされている事実から直ちに各登記原因どおりの売買がなされたことを推認することは難しい。他に被控訴人の前記主張事実を認めるに足りる証拠はない。

(ハ) したがって、その余の点について判断を進めるまでもなく、被控訴人の抗弁は、理由がない。

(6) そうすると、控訴人らは、本件係争地につき、民法二一〇条条一項の通行権を有するものということができる。

四  申請の理由4について

申請の理由4は、ウイングポンプの設置時期の点を除き、当事者間に争いがない。《証拠省略》によれば、ウイングポンプは、被控訴人が昭和四三年ころ被控訴人宅を建築した際現在と同じ位置に設置したことが一応認められる《証拠判断省略》。しかし、ウイングポンプも前記通行権に基づく妨害排除請求の対象にはなり、それに伴う被控訴人の損害は民法二一二条に定める償金請求により賄われるべきものと考える。

五  申請の理由5について

《証拠省略》を総合すれば、控訴人らは、現在本件土地から公路に出るには、本件土地の東に広がる田村善蔵所有のみかん畑の中の畔を約八〇メートル通って農道に出るほかないこと(しかし、これは通常の日常生活に必要な公路までの通路といえるものではない。)、また、控訴人村田は、その自宅のくみ取り口が別紙図面(一)表示のとおりの位置にあるため、従前は公路(町道)から本件係争地にホースを通してくみ取りを行なってきたが、現在くみ取りをすることもできなくなり、本件土地ないし控訴人村田宅を利用するにつき重大な支障を受けていることが一応認められる。したがって、控訴人らは、緊急に本件土地から公路まで至る通路を確保する必要があり、本件係争地上のブロック塀及びウイングポンプの撤去等を求める本案訴訟の判決の確定を待っていては回復し難い損害を被るおそれがあるから、本件保全処分を求める必要があるといえる。

六  以上によれば、控訴人らには、被控訴人に対し、保全処分として、本件係争地を控訴人らが通行することに対する妨害禁止並びに本件係争地上のコンクリートブロック塀及びウイングポンプの撤去(松山地方裁判所執行官をして被控訴人の費用でそれらの撤去をさせる代替執行も含む。)を求めるための被保全権利及び保全の必要があると一応認められるが、右仮処分が満足的仮処分でありこれを認めた場合被控訴人に与える影響が少なくないことをも考慮すれば、ブロック塀等の撤去を求める申請部分については、控訴人らに対し三〇万円の保証を立てることを条件として、右仮処分を認めるのが相当である。これと判断を異にし控訴人らの申請を却下した原判決は失当であって、本件控訴は理由がある。よって、民訴法三八六条により原判決を取り消し、ブロック塀等の撤去を求める申請部分については三〇万円の保証を立てることを条件として、控訴人らの本件仮処分の申請を認容することとし、訴訟費用の負担について同法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 高橋文仲 山垣清正 裁判長裁判官渡邊貢は転補のため署名押印することができない。裁判官 高橋文仲)

〈以下省略〉

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